誤射かもしれない
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「貴方を奪いに参りました」
...MDZS/忘←羨。座学時代春画騒動あたり。
...MDZS/忘←羨。座学時代春画騒動あたり。
何が楽しくて生きているのだろう、と思う。
雲深不知処の、その佇まいと暮らしに違わぬ余りに静かで密やかな微風。開け放たれた窓から入り込み、髪のひと筋さえ揺らさぬまま通り抜けるそれ越しに魏無羨は白を見ている。葬式みたいに縁起の悪い、けれど間違いなく清廉で凛とした姿かたち。絡繰みたいに淡々と腕を動かし続ける彼は、一体何が楽しくて生きているのだろう。
魏無羨は文机に潰れた蛙みたいに寄りかかり、彼と同じく動かすべき腕をでろりと投げ出している。握るべき筆は鼻の下、つんと尖った唇との間で横たわって仕事を放棄させられていた。穂先から墨の落ちる心配はない――何せ硯に浸してすらいないし、写すべき雅正集はすっかり枕になっているので。
「なあ、藍湛」
最早何度目だろう、この名前を呼ぶのは。
低い位置から見上げても、藍忘機の視線はちいとも動かない。伏せがちな長い睫毛に縁取られた眼球は煌めく琥珀の輝きを照り返して、魏無羨ではなく墨に彩られてゆく書だけを追っている。
最早何度目だろう、こうしてすげなく無視されるのは。
あからさまに溜め息をついてみてもやはり、藍忘機が一瞥をくれることはない。無駄だとよくよく身に染みている魏無羨はそれでも彼の名を、藍忘機、忘機兄、藍二公子、藍二哥哥、等々重ねて呼ぶことに躊躇いはなかったが、やめておいた。今日は禁言術で口を縛られる気分ではない。吹き抜ける風に思うまま溜め息をなぶらせていたい。
蔵書閣でのひと月の同棲、ではなく反省――監視付きのそれを魏無羨は敢えて同棲と呼びたい、少しでも藍忘機の睫毛の先を震わせる可能性があるのなら――を命じられて早幾日。そろそろあといくつ日没を超えれば終わるかと数えるにも胸の焦がれる程度。それだけこのつくりものみたいに綺麗な顔の男と過ごしたが、全く以て相互理解は進まない。藍忘機は魏無羨を理解しようなどとは端から、髪のほんのひと筋程も思っていないだろうし、魏無羨自身彼の神経をよくよく、それはもう丁寧に、一本一本手ずから逆撫でしているぐらいの自負はあるのでそりゃそうだろう。と、思うのだがそれはそれとして。
一度名を呼ぶに口ずさんでも、仕事をしない筆は元の位置にお行儀良く鎮座したままだ。つんつんに尖った唇はめっきり拗ねて藍忘機の後ろ髪を引っ張っているが、当然音にもならないそれに彼が振り向くはずもない。ので、唇は益々家鴨になるしかない。
魏無羨はグワ、と鳴いてみるか考えて、止めた。そんな程度藍忘機が振り返るものか。どう考えたって虚しい。
今度こそ臓腑の底の底を浚う溜め息を風に流して、解けた唇から筆を滑り落とした。乾いたそれは真っ新な紙の上をころんころん、長閑に転がって、硯の角と事故を起こして行き止まった。
白い白い紙の水面を見つめる。筆の薄い影だけが泳ぐそこに、魏無羨はもうほんものを見なくたって、藍忘機の横顔を映し出せる。それだけこのひと月足らずで藍忘機の姿を見つめてきたのだ。江澄はよくよく呆れきった半眼で、囁懐柔にはささやかな拍手を送る程度には感心されるのだが、この蔵書閣には他に興味を惹くものがないのだから必然である。
藍忘機、というひとは。魏無羨が心地の悪い枕と愛用して止まない、藍家の家訓そのものの人である。つまり魏無羨とは真逆の人だ。
品行方正で、騒がず、笑わず。いつ何時も真面目で実直な男。もちろん酒も飲まないし雉も狩らない。若くして藍氏双璧と呼ばれる片割れ。座学の模範、雲深不知処に集う修士の手本。つまり完璧だった。
そんなことがあるか、と思う。
だからつまり、何が楽しくて生きているのだろう。魏無羨からすればお堅いばかりで、趣味も介さず、笑うこともできない。全くつまらない生き方だ。そんなことがあるか? いいや、藍忘機とて人間だ。そんなことはないはずだろう。
魏無羨の思考など気づくはずもなく、あるいは気づいたとて当然無視をして、藍忘機は筆を滑らせ続けている。絶対に魏無羨の視線に気づいているだろうに、絶対の絶対に振り向かないその横顔。
お前だけだ、と江澄は言う。あの藍忘機を怒らせるなんてと。
つまりそういうことだ。誰も藍忘機の心を逆撫でようとはしないのだ。
今のところ魏無羨だけが、あの氷の白皙が静かに温度を上げることを知っている。その視線の熱さと鋭さと痛さ。そこらのちゃちな邪祟ならその視線だけで滅してしまいそうなそれを。
きっとこの藍家、姑蘇の雲深不知処という環境なのだ。ここは清くて静かで平穏で、そんなところにいるから藍忘機の水面はさざめかない。魏無羨の育った蓮花塢のようなざわめきと活気と、つまるところ波紋がない。
藍忘機は、何が楽しいのだろう。騒がず、笑わず。酒の味も雉を狩る昂揚も知らず――そもそも『楽しい』という言葉を知っているだろうか?
人は魏無羨を不真面目だ不健全だと誹るが、魏無羨からすれば藍忘機という人間の方こそ、全く以て不健全である。
随分と仕事を忘れていた筆を、魏無羨はそっと拾い上げた。乾き切っている硯に水を落とし、久しく手にしていなかった墨を擦る。大の字に寝転がっていた筆を取り、乾き切った穂先を浸す。白い白い紙の水面を見下ろして、どこまでも静かで何もない白を、真っ黒な穂先でそうっと撫でてゆく。するり、するりと、墨の波紋が曳かれてゆく。
湖を征く小舟のように。魏無羨は思うまま筆を滑らせる。その様はそろそろ懐かしさを覚え始めた故郷の景色に似ている。
蓮の合間を進む小舟。きらきらと波間に踊る陽光。花々の美しさと甘い香り。それから江澄や師弟たちと重ねて響かせるざわめきを、時折蓮の実を頂戴しては怒って追いかけてくる番人の爺さんの怒声を混ぜながら魏無羨は筆先に込めてゆく。その軌跡は弾むように、魏無羨の描きたいものを映し出してゆく。
藍忘機はきっと、姑蘇から出たことがないだろう。もしも彼が雲夢に来たならば魏無羨が愛して止まないあの景色をどう評するだろうか。眉を顰めるのか、下らないと切り捨てるのか、背を向けて去って行くのか。少し考えてみて、魏無羨の筆先が少しだけ鈍る。もしもそうなるとしたら、それは酷く悲しいことだ。魏無羨が、でもあるが、そうとしか感じられない藍忘機が。
魏無羨はふるふると首を振る。艶々の黒髪が背中を叩いて、あくまで妄想だと思考を正した。
確かにここ雲深不知処のように清くて静かで平穏で、つまり質素で、ありとあらゆるを戒めた暮らしでも人は生きてはいける。
けれど生きるには絶対に楽しみが、余分が必要なのだ。何が楽しくて生きているかわからないこの男に、魏無羨は無駄というものを添えてやりたいと思う。騒いだり笑ったりする顔を見てみたいし、雲夢の景色を喜ぶとは言わないまでも目を瞠る様を隣で見てみたい。
するりと筆を振り抜いて、魏無羨は机上の水面を見下ろした。
何もない、ただただ白かったそこに、墨の軌跡が艶々と躍っている。なめらかに水面を跳ねる線は玲瓏な横顔を映し出していて、我ながら良く描けていると魏無羨は頷いた。そのままちらりと目線を上げるが、映し出された当の本人はやはりちいともこちらへ視線をくれやしない。
魏無羨が映し取った藍忘機は、祈りを込められて瑞々しい。それでもやはり横顔は寒々しく、魏無羨は少しばかり肩を落とした。
絵には自信がある。想像力が豊かだという自負もある。
けれど魏無羨は未だ、藍忘機の笑った顔を見たことがない。苛烈な視線と怒りを含む口元ぐらいは見たが、白い水面に映すなら朗らかなものの方が良いに決まっている。想像でその表情を描き出すことはきっと簡単だが、魏無羨は何となく、どうしてだか、嫌だと思った。
魏無羨は、藍忘機の笑った顔が見たいのだ。
「…………ん?」
もやりと、何かが胸に浮かんで消える。魏無羨は首を傾げた。
その尻尾を掴む前に、傾く頭のままに靄は流れて消えていく。はて、と思いながら、魏無羨は乾き始めた筆を握り直した。
硯の海にちょいと筆先を浸す。新しい墨がじんわりと黒に染まってゆく。
今は、藍忘機にどんな無駄を添えられるだろう。美しいばかりの白黒の横顔を前に魏無羨は考える。仮にこれが藍先生の映し絵であればあの整った髭を更に豊かにするなど考えつくのだが、この藍忘機にそんな無粋な無駄を添えたいとは思わなかった。魏無羨は存外に、藍忘機の美しさを気に入っている。
いつか本当に、彼の笑顔を見るまでは。本当の本当に、彼に添えるべき無駄を見つけるまでは。
魏無羨はするすると、白い水面の藍忘機に墨の黒を添えてゆく。飾り立てる花は少しばかり虚しくて寂しい。せめて女のように花を飾られた姿に、藍忘機が怒るぐらいの役に立ってくれればいいのだけれど。
祈りと、願いと、いつかへの期待を込めて。するりするりと筆を走らせ俯く魏無羨が、ほんの刹那だけ注がれた藍忘機の視線に気づくことはない。今は、未だ。
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2011年3月3日
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