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誤射かもしれない
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「どうしようもない大人と爪先立ちの子ども」


...ヴァンガ/騎士王と孤高。

 初めて会った日のことは今でも鮮明に覚えている。
 ――お会いできて光栄です、若き王。
 すうと胸を透る声だった。柔く入り込む光に滑る髪は亜麻色、瞳は淡い紫で、どこか翳りを宿していた。
 いずれ己が率いることになる騎士団の重鎮。エルフの血を引く彼は20やそこらの若き騎士にしか見えなかったが、父が王を名乗る前から騎士として王家に尽くしているという。確かにまだ幼かった自分を見下ろす眼差しには老翁の温みすら覚えた。同時に、当時の自分よりもずっと幼い子どもが、見知らぬ人間に抱く、怯えのようなものも、感じた。
 あの眼差しに最初から捕らわれていたのだと思う。そうと意識したことはないが騎士たちの中でも彼を頼みにすることが多かった。だからこそ、王を名乗る頃にこう言われたのだ。
 ――あまり、私などに心配りなさるものではありませんよ、若き王。
 困ったように眉を下げ、笑むように弓を描く紫瞳。その表情に宿る感情の名前はきっと悲しみが一番近いと時間をかけて理解した。
 王と名乗る頃にはもう、彼の出自も世間の目も覚束ない立場も分かっていた。彼に声をかける度に感じる周囲からの猜疑の気配にも。孤高の騎士、その号の冷たさすら。
「……ガンスロッド」
 そして今、騎士王と呼ばれて久しいアルフレッドは対する部下の名前を呼ぶ。
 ゆるく面が上げられる。瞳は空で何の感情も宿さない。だが常にガンスロッドを視界に留めていたアルフレッドにはちいさな変化が手に取るように分かる。亜麻色の髪の下では不純と称される長い耳がぴくりと跳ねているのだろう。
「また、陣を離れて先行したな」
「持ち場を離れたことは認めます。しかしあの場では最良の判断だったかと」
 ガンスロッドの声は揺るがない。こんなときばかり歴戦の騎士の体で答えるのだ。アルフレッドははあと息を吐く。
 確かにガンスロッドが先行して敵陣を攪乱してくれたおかげで、当初の思惑よりずっと早く決着がついた。それはアルフレッドも認めるところだ。文句のつけようもなく、確かな経験に裏打ちされた判断。その通りだ。
「お前の働きにはいつも感謝しているよ、ガンスロッド」
 けれどね。付け足して、ガンスロッドと視線を合わせる。瞳の奥、揺るがない忠誠の奥に隠しているものを引きずり出す。
「……死に急ぐことは、ない」
「そんなつもりは、決して」
「うん、それは分かっているんだけれど。お前はどうもそんなきらいがある。私はそれが、堪らなく、」
 堪らなく、……。その先は口を噤む。
 亜麻色がさらりと流れた。それは小首を傾げる所作を彷彿とさせて、往年の騎士であるガンスロッドを酷く幼く見せた。
 胸をざわざわと揺らすものを自覚しながら、アルフレッドはガンスロッドを手招く。失礼しますと頭を垂れながら孤高の騎士は王の目の前に立つ。互いに武装はしていない。戦装束を脱ぎ捨てたガンスロッドの身体は騎士にしては細く、戦場に投げ込もうものなら粉々に砕けてしまいそうに錯覚する。
 その細い腕を取り、アルフレッドはゆるく力を込めた。ガンスロッドの表情が僅かに歪む様は看過しようもなく、自然声は咎めを含んで低くなる。
「また無茶をしたな。手当は」
「……このくらい、なんてことありません。自分で、処置――…ッ!」
 ぐっと握れば愁眉が強く寄せられる。ヒビぐらいは入っているだろう。自分で処置したというがそれすら怪しい。
「駄目だ。後でエレインのところに行きなさい」
 労わるようにやわく力を抜いていく。ガンスロッドは消え入りそうな声ではいと返した。
 自身を大切にしてほしいと思うのに、ガンスロッドは王への忠誠という言葉を盾に我が身を投げ打とうとする。忠誠というなら王の願いぐらい聞いてくれてもいいと思うが、孤高の名を冠する騎士は自身が死に急いでいることにすら気付いていないのかもしれない。
 じっと白い面を見つめる。片腕は捉えたままで、俄かにガンスロッドが戸惑いを滲ませるのが見て取れた。
「騎士王?」
 己の戴くその号すら、彼を遠ざける壁なのだろうか。
 もし自分が王ではなく、彼と肩を並べる騎士であれば。
 詮無いことを考え、アルフレッドは思わず苦笑した。立場など恐らく言い訳に過ぎない。彼が気にかかって仕方がないのは自分自身で、もどかしく想い続けているのも自分自身だ。
 痛みを覚えない程度、しかし決して逃がしはしない力を込めて腕を引く。一方の手はガンスロッドの腰に回し、ゆるく腕の中に囲った。自分は座しガンスロッドは立っているものだから、身を寄せれば己の顔を薄い腹に押しつけるかたちになる。
「お、王!?」
 露わになった戸惑いを笑いながら、アルフレッドは目を閉じた。
「私では、」
 声が直接響いたのかガンスロッドの腹が弱く波打つ。艶めかしい生に煽られながら続ける。
「貴方の力になれないのだろうか」
「王、私は――」
 答えたものの続く言葉を見つけられなかったのか、ガンスロッドは短く息を吐いた。あまく空気が撓む。
 腰を囲う手を撫で上げるように滑らせる。ぺたりと開いた掌に薄い背の温度が心地よい。少し引けばガンスロッドは僅かに身を屈める格好になった。重なってできた影の中、菫色の瞳はゆらゆらと揺れている。そこに映るのは呆れるほど真剣な顔をした自分。
「貴方を守りたい、と。私は、昔から」
「貴方は…皆の王、です」
「そうだ。だからお前の王でもあり――アルフレッドという一人の存在でもある」
 詮無いと、再び思う。きっとこうして言葉を重ねても埋まりはしない。
 けれど伝えたいと思った。そしていつかは届くのだと確信した。ガンスロッドはかつてのようにただ否定するだけではなく、アルフレッドは皆の王であると答えたのだから。
「騎士王、」
「アルフレッド、だ」
 微かに喉に詰まる声が落ちてくる。捉えたままの背を、腕を引けば、頬を亜麻色の髪が掠める。菫色は水に滲んで夜明けの色に変わっていた。
 数度ばかり唇を震わせて、ガンスロッドは低く声を滑らせた。
「……アルフレッド、様」
「うん、ガンスロッド」
 耳に心地よい声。思えば名を呼ばれたのは初めてではないだろうか。
 ガンスロッドの表情はこれまで見たこともないほどに歪んでいた。そこには戸惑いや怯えや悲しみがあって、アルフレッドはそれらを掻き分ける。後ろ向きな感情に隠れて震えているものに手を伸ばす。
「私は貴方が恐れるものすべてから貴方を守りたい。…守らせてはもらえないだろうか」
 自分が王と称される前、どころか、生まれるよりずっと前から“王”に忠誠を誓う孤高の騎士。恐らくロイヤルパラディンに属する誰よりも騎士らしい騎士である彼を守りたいなど、驕りでしかないのかもしれない。
 重なるお互いの影にじんわりと熱がこもるのを感じながら、アルフレッドはガンスロッドをじっと見つめる。潤む夜明けは瞬いて、ぱたぱたと光をこぼした。己の頬を滑る綺麗な水に目を細めアルフレッドは微笑する。温かい水と共に溢れるのは初めて剥き出しになっただろうガンスロッドの本当の気持ちだと、思う。アルフレッドは腕に力を込める。素直に引き寄せられる身体と埋まる距離が答えでいいのだろう。
 たどたどしく肩口に埋められる温もりと確かな重み。さらさらと流れる亜麻色を指先で梳きながら、アルフレッドはガンスロッドを抱きしめる。はい、と、くぐもった声がどこまでも愛おしく、決して放しはしないと胸に誓った。


(沁々三十題/群青三メートル手前)
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